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ぱちゃぽの film review

気ままに書いてます(*^^*)
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J.エドガー 〜J.EDGAR

 監督:クリント・イーストウッド
 出演:レオナルド・ディカプリオ、
     ナオミ・ワッツ、
     アーミー・ハマー、
     ジョシュ・ルーカス、
     ジュディ・デンチ、
     デイモン・ヘリマン、
     ケン・ハワード




久しぶりに“ハリウッド映画”を見ました。

アカデミー賞主演男優賞のノミネートから洩れてしまったとはいえ、監督がクリント・イーストウッドということもあり、興味ある作品でした。

FBI初代長官に任命されたジョン・エドガー・フーバー(レオナルド・ディカプリオ)。

フーバーの取材にやってきた記者に自身の過去を回想しながら話していく課程が映画のストーリーになっているというもの。

 

現在と過去が交差しながら進むストーリー。

ちょっと難しい映画だったかなぁ〜。

| - | ドキュメンタリー | 15:31 | - | - |
マイウェイ 12,000キロの真実

 監督/脚本:カン・ジュギュ
 出演:オダギリジョー、チャン・ドンゴン、ファン・ビンビン
    キム・イングォン
 



「戦争」というものからは本当に何も生まれてこない。
この時代、一体どれだけたくさんのひとが運命を翻弄されたことだろう。

戦争がなければこの映画の二人−長谷川辰雄とキム・ジュンシクもオリンピックのマラソン選手を目指し、よきライバルとして戦ったことでしょう。

 

1928年日本の占領下にあった朝鮮半島。

憲兵隊司令官である祖父(夏八木勲)がいる京城(今のソウル)に両親と共にやってきた11歳の長谷川辰雄は、祖父の屋敷で使用人として働いているキム一家の長男・ジュンシクと出会います。

お互いに走ることが大好きだったこともあり、身分は違えど常に記録を競い合うよきライバルとして成長します。

 

ある大会で優勝した辰雄の祝賀会が行われていた日、お祝いの品だとある人物から包みを受け取ったジュンシクの父親。

うやうやしく辰雄の祖父に手渡し、その包みを開けた辰雄でしたが、その瞬間祖父の顔色が変わります。

包みの中に入っていたもの−爆弾。

とっさに自分の腹に抱え込みうつぶせになった祖父は大声で叫びます。

 

逃げろっ!!

 

次の瞬間爆発と共に辰雄の尊敬する祖父の体は無残な姿となってしまいます。

 

お前が殺したんだ−辰雄は包みを祖父に手渡したジュンシクの父親につかみかかります。

 

この事が辰雄の朝鮮人への偏見をさらに強いものにしてしまうのです。

 

時は流れて1938年。

東京オリンピックのマラソン代表選考をかねた大会で、辰雄(オダギリジョー)とジュンシク(チャン・ドンゴン)は激闘を繰り広げます。

ところが当時の審判団は日本人。朝鮮人を優勝させてはなるものかと、ジュンシクの走りを妨害するも、逆に転倒してしまいます。

激走の結果、ジュンシクが見事優勝したのですが、日本人選手の走りを妨害したと因縁をつけられ失格となり、2位の辰雄が優勝だと発表されたのです。

これに怒ったのが朝鮮の応援団。

1位はキム・ジュンシクだ!!−会場は乱闘が始まってしまいます。

 

この騒ぎは裁判にかけられ、乱闘に加わった朝鮮人へ課せられた罰は−「日本人」として日本軍に強制徴兵されるというものでした。

 

日の丸を負い、日本語を話す−どれほどの屈辱だったのかは簡単に想像できます。

大韓民国という国はとにかく自分たちの国をとても大切にしています。

ひとりの韓国人が屈辱的な思いをすれば、それは全国民の怒りとなって跳ね返ってきます。

−歴史を学ぶと国民性がとてもよくわかるものです。

 

モンゴル・ノモンハンへと送り込まれたジュンシクたちのもとに、隊長として辰雄がやってきます。

冷酷な軍人と化した辰雄は、ジュンシクらに非人道的な作戦に就くよう命令するのですが、

ジュンシクをはじめとする朝鮮人青年たちは激しく反発します。

 

ところが敵(ソ連軍)の奇襲を受けてしまった辰雄ら日本軍は苦戦を強いられます。

引き下がろうとする歩兵に銃口を向け、「後退は許さない!進め!進め!」と引き金を引く辰雄。

そんな辰雄にジュンシクは殴りかかり、「味方を全滅させる気か?くたばりたいならお前一人でくたばれっ!」と叫びます。

 

このときのオダギリジョーの演技は怖かった。狂気を帯びた目がホントに怖くて、「オダギリジョー」が壊れちゃったんじゃないかって思ってしまったくらい。

でも当時の人たちってみんなこうだったんだろうって思います。

目の前で仲間たちがどんどん死んでいって、どんどん積み重なっていく死体を見て正気でいられるはずがない。

「天皇陛下万歳」

そういう思考教育を受けていた彼らは、本当に誇りを持って死に向かって行ったんだろうか…。

 

ソ連軍との激戦後、辰雄・ジュンシクら生き残った歩兵たちはソ連・ペルミへと送り込まれます。

 

つまり、捕虜。

 

捕虜となった辰雄は、ソ連軍司令官から日の丸を踏むよう命じられます。

しかし、天皇の名の下に戦っている辰雄にとって日の丸に足を下ろすということは到底できないこと。

 

捕虜になっても上官としても権力を振りかざし続ける辰雄と衝突の絶えないジュンシク。

 

そしてついにそんな二人が処刑されることとなってしまいます。

−柱に括り付けられ、銃口を向けられ、いよいよ引き金を引く−まさにそのとき、1台の車がサイレンを鳴らしてやってきます。

 

ドイツ軍がソ連を侵攻したため、捕虜である辰雄らも「ソ連軍」として戦わなくてはならないというのです。

ソ連の軍服をつきつけられ、拒めばその場で即射殺。

−着替えをしようとする辰雄の手の震えは、極寒の地のせいなのか、屈辱のせいなのか…。

 

辰雄もジュンシクも「生きる」ことを選択したのです。

 

満足な武器もないままにドイツ軍との戦いを強いられた辰雄・ジュンシクら。

銃の弾が飛び交う下では、仲間同士の武器の奪い合い。

 

じりじりと後退を始めるソ連軍。

そのとき辰雄の目に飛び込んできたのは、味方の兵士たちに銃口を向けるソ連軍の将校の姿。

 

「後退は許さない!前へ進め!」

 

ノモンハンでの自分の姿と重ねる辰雄。

 

折り重なる死体の山。山。山。

 

ひとり歩き出した辰雄の目に映ったのは、同じく生き残ったジュンシクの姿。

 

ジュンシクはドイツ軍の兵士の死体からコートを剥ぎ取り、辰雄へと渡します。

「山を越えるには必要だ」

 

ドイツに亡命を決めた二人は雪山の越境を試みます。

しかし今回の激戦で深い傷を負った辰雄は、ドイツに着くと力尽き倒れこんでしまいます。

なんとか薬を調達しようと瓦礫と化した町へと向かったジュンシクでしたが、運悪くドイツ軍に捕まり連行されてしまいます。

 

ついにドイツでふたりは離れ離れとなってしまうのです。

 

辰雄とジュンシク。

ふたりとも決して揺らぐことのないものを心の中に持ち続けていたところは共通するところ。

辰雄は「祖国に命をささげる」という信念を曲げなかった。

一方のジュンシクは「いかなる状況でも走ることへの希望と、自分は『キム・ジュンシク』であること」を忘れなかった。

 

戦闘シーンは目を開けてしっかりと見ることはなかなか難しかった。

ソ連の収容所では寒さがスクリーンから伝わってくるようだった。

 

自分が生き残るために仲間を裏切ったもの。

友情・祖国・夢を捨てた若者たち。

 

自分が生きることだけで精一杯だった時代。

 

この映画に山本太郎が出てるんだけど、とにかくとにかくめちゃくちゃ嫌な奴の役。

朝鮮人をいじめ抜き、そのことで快感を得るような最悪な男。

今、いろいろと彼はお騒がせなことがあるみたいだけど、とてもいい役者ではないかとこの映画を見て感じました。

また身辺が落ち着いたら、ぜひ俳優としてがんばってほしいなぁ〜と思います。

 

ひとつ思うんだけど、この映画韓国ではどんな評価を受けたんだろう。

日本人が朝鮮人を罵倒するせりふも多いし、韓国側からしてみればいくら過去の出来事だと言っても決して気持ちのいいものではないと思うんだけど。

 

この「マイウェイ」、実話に基づいた映画なんだけど、この時代にこんな思いをした人がきっとたくさんいたはず。

そんな方々のおかげで今の平和な時代がある−自由に韓国に行っておいしいだの、安いだの言うことができる時代。

 

オダギリジョーが演じた役の方が実在の人だと思うんだけど、実際にチャン・ドンゴンのような存在の人がいたのなら安心する−って思うのアタシだけかな。

 

ラストにアタシは少し安心しました。

あのラストがこれからの日本と韓国の関係を暗示しているように感じられます。

 

| - | ドキュメンタリー | 17:22 | - | - |
沈まぬ太陽
 


監督:若松節朗

出演:渡辺 謙、三浦友和、鈴木京香、
        香川照之、石坂浩二、松雪泰子




もうびっくりするくらいの豪華キャスト。

わずか数分の出番にこんな大物が!ってびっくりする場面が何度もありました。

3時間22分。全く長さを感じることなく見ることができました。

途中10分間のIntermission(休憩時間)があるんだけど、なくてもいいくらい。

 

映画は、国民航空123便に搭乗する人たちの明るい表情で満ち溢れる空港のシーンから始まります。

 

生まれて間もない息子とともに写真に収まる若夫婦。

 

家で待つ息子の為に買ったお土産を手に、電話口でうれしそうに話す父親。

−「夕食作って待ってる」…妻のやさしい声。

 

初めての一人旅に出る息子を見送りに来た母親。

−スチュワーデス(松下奈緒)に手を引かれ機内へと向かいながら「またすぐお母さんに会えるよね?」と尋ねる少年。

 

「ごめんね。母親の具合が悪くなっちゃって。この埋め合わせは必ずするから」

−後輩のスチュワーデスにフライトを代わってもらった美樹(松雪泰子)

 

520余人の「未来」と「命」を乗せたKL123便は大阪・伊丹へと向かい飛び立ちました。

 

時は遡り昭和30年代。

恩地元(渡辺謙)は国民航空の労働組合で委員長を務めていました。

過酷な労働条件の下で働く従業員のため同僚で組合副委員長の行天(三浦友和)とともに会社と闘いなんとか職場環境の改善の一歩を踏み出すことに成功。

しかし、その恩地を待っていたのは懲罰人事。

パキスタン・カラチへの転勤を命じられた恩地は、他の組合員への懲罰人事は一切行わないこと、2年で必ず日本へ戻れることを条件にこの差別的な人事を受け入れることに。

一方、組合分裂に加担することを条件に栄転を重ね、エリートコースを歩き出した行天。

 

家族より一足早くパキスタンへやってきていた恩地を追って妻・りつ子(鈴木京香)と子供たちがやってきて、家族4人での生活が始まります。

慣れない外国−しかも僻地での生活は家族の絆をも危うくするものでした。

 

2年。2年の辛抱だ…。

ところが恩地を待っていたのはイラン・テヘランへの転勤。

憤りを堪え、会社の人事に従う恩地でしたが、日本に一人でいる恩地の母親(草笛光子)のこともあり、りつ子は子供たちを連れて日本へ帰国することに。

 

今度こそ、今度こそ日本へ戻れる。

しかしそんな恩地の期待はまたも打ち砕かれることに−路線就航もないケニア・ナイロビへの異動。

 

ある日、恩地の母親が危篤とのテレックスが入り緊急帰国するも

母親の最後を看取ることは叶いませんでした。

本社へ足を運んだ恩地は、かつての組合の仲間たちが閑職へ追いやられている現実を目の当たりにし、怒りを爆発させます。

 

「約束が違うじゃないですか!」

社長の桧山(神山繁)に食いかかるも、うやむやな返事ではぐらかそうとする社長(会社)に成す術ない恩地。

 

そんな恩地に、行天は「日本へ帰って来い。お前が戻ってくる根回しはできている。あとはお前が一筆書けば(詫び状)すぐにでも帰ってこれるんだぞ」と口ぞえをするのですが、それでは会社に屈したことになると思う恩地には首を縦にふることはできませんでした。

 

父親の「左遷」で子供たちにも少なからず影響が出ている−恩地の心は揺らぎますが決して自分の初志を貫くことを諦めようとはしない。

 

−恩地が再び日本へ復帰することができたのは、パキスタンへ追いやられてから10年の月日が流れていました。

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| - | ドキュメンタリー | 23:29 | - | - |
悲城情市 on DVD
 監督:ホウ・シャオシエン
 出演:トニー・レオン
    シン・シューフェン
    リー・ティエンルー
    チェン・ソンヨン
    カオ・ジエ



悲情城市−とても静かな映画でした。
そしてとても残酷な映画でした。

この静けさの要因は、侯考賢(ホウ・シャオシエン)監督のカメラワークによるところがとても大きな要因となっていると思います。
まず映画を観て思ったのは、ロングショットの多さ。
いわゆる「アップ」というものがほとんど、否、なかったと言っても過言ではないのではないでしょうか。
暴動のシーンでも遠くから、まるで傍観者として見ているかのようなアングルでスクリーンに収めています。

1989年公開、誰も取り上げようとしなかった二・二八事件を題材にし、ヴェネチア国際映画祭でを金獅子賞(グランプリ)を受賞した映画。

来月台湾へ行くんだけど、その時のスケジュールの中に九份(きゅうふん)への観光が含まれていて、その九份を紹介する文章の中に必ずこの映画のタイトル「悲情城市」が書かれているんです。
しかもぱちゃぽが愛して止まないトニー・レオンが出演していて、これは台湾へ行く前に観ておかなければならないと、DVDを購入しました。

1945年8月15日、終戦の日。
この日、日本でも太平洋戦争に勝つことを信じて疑わなかった国民の耳に届いた「玉音放送」が流れているシーンから始まり、天皇陛下のお言葉の最中に一人の男の子が誕生します。

日本統治下から解放され、喜びにわく台湾。−でもその喜びは長く続きませんでした。
もともと台湾で生活をしていた「本省人」と、中国大陸から流れてきた−いわゆる外国人である「外省人」。
当初台湾の人たち(本省人)はこの大陸からの「外省人」−政府官僚・軍人を歓迎したものの、彼らの腐敗した、質の悪さに失望することとなります。
悪事のすべてを行い、そして時としてその犯人は罰せられぬこともなかったとか。
生活物資に関しても、中国人官僚によって横領・接収され、競売にかけられ物価は高騰する一方。

「犬去りて、豚来たる」−犬(日本人)は五月蠅くとも役に立つが、豚(国民党)はただ貪り食うのみと揶揄するほどに、外省人への不満は膨らんでいきました。

そして。
1947年2月27日台北市内で起きた事件をきっかけに翌28日、本省人によって市庁舎への抗議デモが行なわれました。しかし憲兵隊が発砲したことをきっかけに抗争は台湾全土へと広がることに。
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| - | ドキュメンタリー | 22:24 | - | - |
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